第1部 井上 智明氏 事例発表要旨 まほろば連絡協議会の活動と目指すところ

井上 智明氏 事例発表

 「薮神地区を考える会」(南魚沼市旧薮神地区)が生まれたのは昭和59年。当時、地域では金銭優先の風潮の中、人付き合いが薄れ、おまかせ社会となり、村集団を必要としなくなってきていた。当時の公民館地区分館長の井上重一氏が、社会教育を通して地域の連帯や荒廃した地域を考え、「今、なんとかしなければ」と地域の課題を考える会として立ち上げられた。地区の青年有志、小学校PTA役員、婦人会の代表者などと話合いを行い、まず声を出す活動からスタートした。そこで、ただ話合いばかりではつまらない、何か行動しようと国道のバス停の清掃から取り組みは始まった。バス停を清掃し、美化活動を行いながら、住民は、誰のためではなく自分たちのこととして、少しずつ変わり始めた。婦人たちは窓を磨き、花を生けた。PTA役員は子どもたちに絵を描いてもらいバス停に掲げた。青年たちはバス停周りの草を取り、ゴミを拾い、待合の人のためにイスを丸太で作った。こうして2年目には、孫の絵を見におじいちゃんおばあちゃんがバス停に来るようになった。また、近くの人が自発的に果断を作って手入れをしたり水をくれたりするようになった。ちょうどその頃、公民館薮神分館建設計画が地元議員と役場とで始まった。箱物がかなり設置されている大和町に、地区バランスとか政治関係だけでそんな施設を作っていいのかという疑問が生まれた。青年たちが、この建設の疑問をぶつけに議員の家に押しかけ、建設の必要性を話し合ったことから、薮神地区に自立への模索の一歩が踏み出された。建設計画問題が地区全体への課題へとなり、「薮神地区を考える会」のテーマとして持ち込まれた。こうして、センター建設問題について具体的に検討を重ね、想いを込めたセンター建設要望書が行政を動かし、地区のものとしての施設が完成した。会も認知された。住民の想いを込め出来上がった施設は、非常に利用度が高い。
同様な手法で、小出郷文化会館が建設されたと聞いている。
ただし、その後「薮神を考える会」の認知と共に、組織が大きくなり、あれもこれもと、地域や地域住民から離れたこともあった。会は、時代と共に形を変え、現在に至っている。

 「薮神を考える会」は地域の宝探しから、思いついたらすぐ電話。すぐ行動。地域の皆さんと一緒に歩いていく。話がまとまる。想いが通い合う会であった。

 これらの点から、行政との情報共有と責任分担は重要である。情報を得る代わり、責任を負わなければならない。行政は、予算平等ありきで事業がはかどらないもの。コミュニティは横社会であり自立したものである。楽しく、肩に力を入れないことが継続するコツではないだろうか。